今回は「泣きっ面に蜂」という言葉について解説します!
「泣きっ面に蜂」とは、不運や不幸が度重なるという意味の言葉です。
天にも見放されてこれじゃ泣きっ面に蜂だよ・・・みたいに使うよ!
すでに泣いている人に蜂が近づいてきて顔を刺し、更に苦痛を与える様子を表しています。
この記事では「泣きっ面に蜂」という言葉の詳しい意味や由来、使われ方などについても深掘りしています。
興味がある方は記事の続きへどうぞ!
泣きっ面に蜂とは?意味は「不運や災難が重なって起きてしまうこと」
「泣きっ面に蜂」の意味=悪い事が起こっている上に、更に悪い事が起こる
泣きっ面に蜂とは好ましくない不快な状況や困難な状況において、さらに不運が重なってくるという意味の言葉です。
日本語の慣用句であり、辛いことや悲しいことなど、不幸が立て続けに起こった際に使うことわざとして使用されています。悪い状況から抜け出せたと思ったところで、またさらに追い討ちをかけるような不運や不幸が起こるという状況を表しているのです。
また「泣きっ面に蜂」は起きてしまったことを嘆くときに使われるだけではなく、悪いことが起きた上に更に悪いことが重ならないようにと自身や相手に注意を促す際にも使えます。
思いもよらない事故や災害が起こると、焦りや不安からどうしても慌ててしまうものです。
そういった日常とは違う場面などに於いて、今以上に悪い事が起きぬようにと、注意喚起するために使われることもあるでしょう。
また「泣きっ面に蜂」とは不運や不幸などの状況事態を指したものであるため、不運に見舞われた相手を気の毒に思う感情から他者に対して使われる場合もあります。
予期せぬ不幸が度々起こった際に使われる言葉なんだね
泣きっ面に蜂の由来や語源は「泣いている顔をさらに蜂に刺される様子」
「泣きっ面に蜂」の由来、語源=苦痛で泣いているところを追い討ちをかけるよう更に苦しめられるさま
「泣きっ面に蜂」は江戸時代中期頃から明治初期迄「泣きっ面を蜂が刺す」や「泣く面を蜂が刺す」など、現在よりやや長い形で用いられていました。
人々の間でこの言葉が使われるようになったのは江戸時代中期頃に江戸で作られた「江戸いろはかるた」に収録されたことがきっかけだと言われています。
但し、この表現の具体的な起源や歴史的な経緯については明確な情報はなく、推測や仮説に基づいた解釈に過ぎません。民間伝承の一部として伝え続けられてきた表現だと言えるかと思います。
「泣きっ面に蜂がまた刺してくる」なんて、不幸に追い討ちをかける様子が言葉から容易にイメージできるぜ
泣きっ面に蜂の使い方・例文
「泣きっ面に蜂」という言葉を使った例文を見ていきましょう。
使用例①ビジネス上での会話例
保存先のパソコンが壊れた上に、メモリーディスクを紛失してしまったんです。
企画書はきちんと保存したはずなのに。これじゃあ泣きっ面に蜂じゃないか・・・
使用例②日常での会話例
急な雨で服が濡れた上に、慌てて転んで怪我しちゃった
濡れるだけならまだしも怪我もするなんて、まさに泣きっ面に蜂だわ
使用例③日常での会話例
大切なおもちゃが壊れたから直したのに、今度は弟に壊されてもう直せないよ!
それは泣きっ面に蜂じゃな。でも起こったことは戻せない、受け入れるしかないんじゃよ
泣きっ面に蜂の類義語や言い換え、対義語
泣きっ面に蜂の類義語と対義語についても見ていきましょう!
泣きっ面に蜂の類義語や言い換え
泣きっ面に蜂の類義語や言い換えとしては下記のものがあります。
一難去ってまた一難
一つの問題や難題を乗り越えたとしても、それに続いてまた新たな問題や困難が生じること
やっと難しいステージをクリアしたのに、今度はもっと難しくなったよ。一難さってまた一難とはこのことだね。
踏んだり蹴ったり
人生や特定の状況において、何かしらの行動や状況がうまくいかず、様々な困難や問題に直面することを。一つの問題を解決したと思ったら、また新たな問題が現れること。
家の修理や車の故障で出費が重なり踏んだり蹴ったりだ
ダブルパンチをくらう
一度に二つの問題や困難に直面することを意味し、ますます厳しい状況に陥ることを比喩的な意味で表現する言葉
次の試合と学校のテスト週間が重なって来週はダブルパンチだよ
泣きっ面に蜂の対義語
泣きっ面に蜂の対義語としては下記のものがあります。
笑いっ面に花(わらいっつらにはな)
良い状況や出来事がさらに良くなるという肯定的な意味合いで使われる言葉
会社の売上も社員の士気も上がって、我が社は笑いっ面に花だよ!
盆と正月が一緒にきたよう
喜ばしいおめでたいことや嬉しいことが同時にくることを意味する言葉
こんなにもたくさんのプレゼントが貰えるなんて、盆と正月が一緒にきたようだわ
鴨が葱を背負ってくる(かもがねぎをしょってくる)
何かしらの期待や要求に対して実現が非常に難しい状況であるにも関わらず、望んでいた以上のものが現れることを意味することわざ。
今週は彼女に会えないはずだったのに会えることになるなんて鴨が葱を背負ってきてくれた!