今回は「若気の至り(わかげのいたり)」という言葉について解説します!
「若気の至り」とは、未熟な若者がやってしまう軽はずみな行為という意味の言葉です。
「たった一度の挫折で会社を辞めるなんて若気の至りだったよ。」みたいに使うよ!
若気の至りは「若い人の気持ち(若気)」と「成り行きや結果(至り)」を合わせたことわざです。
この記事では「若気の至り」という言葉の詳しい意味や由来、使われ方などについても深掘りしています。
興味がある方は記事の続きへどうぞ!
若気の至りとは?意味は「未熟な若者がやってしまう軽はずみな行為」
「若気の至り」の意味=未熟な若者がやってしまう軽はずみな行為
若気の至りとは未熟な若者がやってしまう軽はずみな行為という意味のことわざです。
「若気」とは、若い人の気持ちや感覚という意味です。
若い人の気持ちという言葉から、力がみなぎり情熱的、一生懸命、活気、元気…など、エネルギーに満ち溢れた感覚をイメージできますね。
しかし、「若気の至り」として使用する場合には、若さ故の気質が空回り、後先を考えない行為に走ってしまうなどのネガティブな傾向をあらわします。
大人の反対を押し切って無茶なことをしでかす、今が楽しいからと勉強をそっちのけで遊び歩くなど、若い頃の失敗、恥ずかしい黒歴史というと誰しもが思い当たる経験があるのではないでしょうか。
一般的には、年配の人が若者の失敗をかばうとき、失敗を責めるというより励ます意味で使われています。
また、自らを振り返り「あの頃は未熟だった」「もっと冷静になるべきだった」など反省や後悔する場合にも使われます。
若い人が現在の自分に対して「若気の至り」を使うことは間違いですので注意が必要です。
「若さ故の失敗や恥をかいた経験」って意味なんだね!
若気の至りの語源は「若気」による「いきすぎた結果」
「若気の至り」の語源=「若気」による「いきすぎた結果」
若い人の気持ちや感覚を表す「若気」に、ものごとの成り行きや結果を意味する「至り」がついて「若気の至り」ということわざになっています。
「若気」により「いきすぎた結果」を、年配の人が、人生経験の浅いうちは誰だって失敗するし恥もかくものだ!と励ますときや、自らの行いを振り返って反省するときに使われます。
江戸時代初期(1626年頃)の書物、三河物語に「火をかくる事むやくとて、とめけるは、七郎九郎、若げのいたりか」の記述があるとこから、かなり昔から使われてきたことわざと言えますね。
「若気の至り」はいったい何歳まで通用するのか、適応年齢について気になったことはありませんか?
明確な年齢の基準はありませんが、現代の成人年齢や社会へ出て働く年齢から考えると、10代~20代半ば頃までがおおよその「若者」の範囲とよべるでしょう。
つまり、無知や未熟さによる失敗や恥をかいたエピソードは、20代半ば頃までであれば「若気の至り」として、それ以降の年代であれば「年甲斐もない」という表現が適切だと言えるでしょう。
昔から「若者の未熟な行い」をあらわすことわざとして使われていたんだね!
若気の至りの使い方・例文
「若気の至り」という言葉を使った例文を見ていきましょう。
使用例①年配の人による激励として…
親父の反対を押し切ってまで上京したのに、結局夢に破れて帰郷するなんて・・・俺、情けないよな。
まぁ若気の至りってやつだよ。挑戦しただけすごいじゃないか!
俺も若い頃はたくさん失敗をしたもんだ。…おかえり。
使用例②自らの行いを振り返って…
わー!そのタトゥー、すごくかっこいいね!私も何か入れようかな~…
…本気で言ってる?元カレとお揃いでいれたの。今は後悔しかないわ。若気の至りって怖いわね。
使用例③若い人が自分で言うのは誤用です!
ちょっと!!また遅刻?頼むからしっかりしてくれよ。
すみませーん。でも僕まだ若いんで!店長、若気の至りって知ってますか?それに免じて許してくださいよー。
それ、自分で言っちゃうんだ…。言い訳してないで、次から本当に気を付けてくださいね!
若気の至りの類義語や言い換え、対義語
若気の至りの類義語と対義語についても見ていきましょう!
若気の至りの類義語や言い換え
若気の至りの類義語や言い換えとしては下記のものがあります。
若気の過ち
学生の頃、もっと真剣に将来について考えておくべきだったよ。大学だって適当に選んで後悔してる。若気の過ちだな…。
軽率(年齢に関係なく使用できます。)
まったく!軽率な行動は慎んでほしいものだね!
無分別・分別のない(年齢に関係なく使用できます。)
分別のない発言だったと反省しているわ。ごめんなさい。
若気の至りの対義語
若気の至りの対義語として、下記の候補があります。
年寄りの冷や水
年配の人が自分の能力や体力の衰えを自覚せず、若い頃と同じ感覚で無理な行いをしてしまうことをあらわすことわざです。
正確に対義語と分類されるものではありませんが、「若気の至り」とほぼ反対の意味といえるでしょう。
おじいちゃん、かけっこで僕に追いつこうなんて年寄りの冷や水だよ!