今回は「暇乞い(いとまごい)」という言葉の意味について解説します。
「暇乞い(いとまごい)」とは、立ち去る前に礼を尽くして別れを告げること、またはその挨拶のことです。

「暇乞い」は文学や時代劇でよく見かけますが、日常でも退職や長期不在の前に使える格調ある表現です。
語源は「暇(いとま)を乞う」こと。ここでいう「暇」は「ひまな時間」ではなく「立ち去る許可・別れ」を意味します。
この記事では「暇乞い」の詳しい意味や語源、使い方・例文、「今生の暇乞い」の意味、類義語・対義語まで深掘りしています。
興味がある方は記事の続きへどうぞ。
暇乞いとは?意味は「礼を尽くして別れを告げること」
「暇乞い(いとまごい)」の意味=立ち去る前に感謝や挨拶を述べ、改まった気持ちで別れを告げること
「暇乞い」は単に「さようなら」と言うだけでなく、これまでお世話になったことへの感謝や、きちんとした礼を伴う別れの挨拶を指します。
退職や転勤の挨拶回り、長期にわたって世話になった相手への別れなど、改まった場面でよく使われます。
「暇乞いをする」「暇乞いに伺う」「暇乞いの挨拶」のように使います。夏目漱石の『こころ』や太宰治の『お伽草紙』などの近代文学にも登場する、格調ある日本語表現です。



ただ「さようなら」を言うのではなく、礼を尽くして別れる……それが「暇乞い」という言葉に込められているんですね。
暇乞いの語源・由来は「暇(いとま)を乞う」にある
語源=「暇(いとま)」(別れる許可・立ち去ること)+「乞い」(願い求めること)
「暇」を「いとま」と読む場合、現代の「ひまな時間」ではなく、「一時的な別れ・離れること・辞去の許可」という意味を持ちます。
かつての日本では、主人の下で仕える者が「立ち去る許可」を求めることを「暇を乞う」と言っていました。下人や奉公人が主人に「いとまをいただきたい」と申し出る場面がイメージしやすいでしょう。
そこから転じて、お世話になった相手への別れの挨拶全般を「暇乞い」と呼ぶようになりました。「暇乞い」の「暇」は「辞職・別れ」、「乞い」は「願い求める」であり、全体として「別れ(立ち去る許可)を願い出ること」が原義です。



昔は「立ち去る許可を願い出る」という意味合いが強かったんですね。主従関係の名残りが感じられる言葉だ。
暇乞いの使い方・例文
「暇乞い」を使った場面を3つ紹介します。
使用例① 退職・異動の挨拶として
職場を去る際のお世話になった方々への別れの挨拶を「暇乞い」と表現できます。



今月で退職することになりました。長い間お世話になりましたので、暇乞いにご挨拶に伺いました。



そうでしたか。長年ありがとうございました。どうぞお体に気をつけて。
使用例② 訪問先を辞去するときに
長くお世話になった場所や人のもとを去る際に、改まって挨拶する場面です。



来月から海外赴任になりますので、暇乞いかたがたお礼を申し上げに参りました。



わざわざありがとうございます。向こうでもお元気で。また帰ったときにはぜひ顔を見せてください。
使用例③ 「今生の暇乞い」―死を覚悟した別れ
「今生の暇乞い(こんじょうのいとまごい)」とは「この世からの別れ、死を覚悟した最後の挨拶」を意味する表現です。「もう二度と会えないかもしれない」という覚悟を持って行う別れを指します。



あの手紙は……まるで今生の暇乞いみたいな書き方をしていて。もしかして何かあったんじゃないかと心配で。



大げさに考えすぎかもしれないけど、確認した方がいいね。連絡してみよう。
「暇乞い」の類義語・対義語
「暇乞い」の類義語
別れを告げる
「暇乞い」の意味に最も近い一般的な表現。ただし「暇乞い」には「礼を尽くして改まって別れる」という丁寧なニュアンスがあり、カジュアルな「別れを告げる」とは使い分けが必要です。
辞去(じきょ)
「(訪問先・職場などを)辞して去ること」を指す改まった表現。訪問先から帰るときに「では辞去します」と使います。「暇乞い」よりも行為そのものに焦点が当たります。
訣別(けつべつ)
「永久に別れること・二度と会わない覚悟の別れ」を指す表現で、「今生の暇乞い」に近いニュアンスです。「長年の盟友と訣別する」のように使います。



「辞去」は訪問後の帰り、「訣別」は永遠の別れ、「暇乞い」はその間の丁寧な別れ……それぞれ微妙にニュアンスが違いますね。
「暇乞い」の対義語
出迎え・来訪
「去る」のが暇乞いなら、「来る・迎える」が対義に当たります。「暇乞いに伺う」の対として「訪問する・来訪する」があります。
再会を誓う
「今生の暇乞い」の対義として「また会いましょう」という再会の約束が対になります。「永遠の別れ」に対する「再会の約束」です。



「また会おう」という言葉の重みが、「暇乞い」という言葉の存在感でよく分かりますね。
暇乞いの豆知識・ちょっといい話
「暇乞い」にまつわる、ちょっと面白い話を2つ紹介します。
①夏目漱石・太宰治も「暇乞い」を使っていた
「暇乞い」は現代語に見えて、明治・大正時代から文豪たちが愛用していた格調ある表現です。
夏目漱石の『こころ』では「私は暇乞いかたがた先生の所へ行って、要るだけの金を一時立て替えてもらう事にした」という一文に登場します。太宰治の『お伽草紙』にも「この突然の暇乞ひもまた、無言の微笑でもつて許された」とあります。
文語・口語いずれでも使える言葉で、退職の挨拶状やスピーチに添えると品格が出る表現です。



漱石や太宰が使っていたとは。「暇乞い」って古い言葉かと思ってたけど、明治から続く生きた表現なんですね。
②昔の旅立ちは「二度と会えないかもしれない」別れだった
かつて「旅に出ること」は命がけであり、暇乞いはまさに「最後の別れかもしれない」という覚悟を伴う儀礼でした。
江戸時代以前、長旅や戦への出陣は命の保証がありませんでした。親や主人、縁ある人々に丁寧に別れを告げておくことは社会的な礼儀であり、「いつ帰れるか分からない」という重さが「暇乞い」という言葉に込められていました。
現代では「退職の挨拶回り」程度の意味で使われますが、その背景には命がけの別れという重みがあったことを知ると、言葉の味わいが変わります。



たかが「退職の挨拶」と思っていたけど、語源を知ると全然違って聞こえてくる……。言葉って深いですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。「暇乞い」は退職・転勤・離別などの大切な場面で使える、礼を尽くした別れの表現です。大切な人への挨拶にぜひ活用してみてください。